起立性調節障害発症直後の私の反応
病名を聞いて「やっぱりそうか」と、
特に驚くこともなく、受け止めることができていましたが
病気への理解が全くなかったです。
起きられない理由、目を覚ましても行動できないこと、日によって目覚める時間が違う、など
娘の内面で起きていることに関して浅はかなまま。
「私が頑張ればなんとかなる」という意気込みしかありませんでした。
それによって自分が苦しんでいくことも知らずに・・・・
今だからやめておけばよかったと思うことを
書きました。
遅刻しても学校へ行くのは当然。
発症したというものの、
午前中なんとか起こして3時間目から登校できているから
「こんな状態であれば長い目でみていけば回復していくはず」
まだ心に余裕はありました。
でも娘の方といえば、無理やり起こされている状態なので、
なかなか立ち上がることもできず、ぼーっとしていました。
それでも優しく声掛けして、なんとか準備できるよう
促していたのですが・・・
いつまで経っても立ち上がる気配がない
むしろ、また寝てる!!!!
そんな様子を見て、
とキリキリ怒鳴る始末・・・。
私から見たら、
「遅刻してでもいいからなんとか学校に行って」
「授業についていけないと困る」
「夏休み明けテスト受けてほしい」
親としたらこう考えませんか?
口数多い娘ではないので、無言でゆっくり起きて準備し始めました。
(後から聞いたら頭が痛い、お腹が痛いということもあって
立ち上がるまで時間がかかっていたとのことですが)
とにかく動けば目が覚めるんだから・・・・
そんな考えしかなく、時間に遅れないようにてきぱき動いてほしい
と思っていました。
とにかく動く。
「熱もないし、怪我でもないなら学校へ行く」
それが当たり前と思って、起こすが大変でも自分が頑張れば娘は学校へ行き、
普段通りに生活ができるんだと・・・・
病院で診断が出て3日間は登校時間内で
なんとか、なんとか学校へ行けました。
体調を心配しつつも、安心と期待が入り混じった気持ちで見送りました
しかし、ここを境に状況が悪化していきました。
揺さぶっても目を開けない。恐怖を感じる
相変わらず私が必死になって起こす毎日。
ストレスも溜まりますよね・・・
そんなある日、声掛けても、揺さぶっても、足を引っ張ってみても
目を開けない日が来ました。
おーい、おーい。
足首をくるくる回したり。膝を屈伸させたり。
何か刺激与えたらいいのではないか。
そんなことより、息してるの???
それは大丈夫でしたが・・・・
今までにない事態に恐怖を覚えました。
なんで?なんで??こんなにまで意識がないなんて
今までなかった。
昨日は遅刻しても学校行ったよね、一昨日も行ったよね?
ちゃんと目を覚ましたよね?
なんで今日は起きないの?
その日は1時間ごとに声掛けして、会話ができるくらいの目覚めが
お昼を超えていました。
その日から
10時ぐらいから声掛けが始まり、12時、13時に目覚めるという日々が続き、
私の心の中は怒りと、不安が募る一方。
やり場のない怒りもだし、
外部の人には言いたくない、知られなくないというプライド。
これ以上遅刻が増えたら、不登校に思われる。
世間の目が気になり始めました。
しかし、学校には病気であることを説明しなくては・・・
3日、4日遅刻が続いた後に担任に報告しました。
幸運にも担任はこの病気のことを知っていて
「わかりました。大丈夫ですよ、自分のペースで来れるときにでいいので」と
言ってもらえてホッとしました。
とはいうものの、世間の目が気になる昭和人間
しかし、ここはバリバリの昭和人間なんで。
学歴社会、集団が美徳、気合、やる気、・上下関係・・・
出るわ、出るわ、昭和の弊害。
私の中で「気合、やる気で乗り切る」っていう価値観がなかなか抜けず
苦しみました。
「やる気がないから起きられないんでしょ?」
「学校が嫌なの?」
「いきたくないからダラダラしてるんじゃないよね?」
今思えば、厳しい言葉を浴びせていたと反省です。
でも、起きて時間が経てばいつも通りなので
つい、そんな言葉で喝を入れたくなるんです。
「学校には行きたい」
「友達とも話がしたい」
「授業も受けたい」
ちゃんと話を聞くと自分の気持ちを言ってくれてました。
娘の意思とは反して思うように生活ができない現状に
イライラしてきます。
こんなに毎日遅刻、欠席が続くと近所の同級生に
なんて思われるんだろう。
ますます、世間体を気にする昭和のプライドが邪魔して
苦しい思いをしていくんです。
「お昼に起きてくれれば午後からの授業には出られる、
娘も気分転換ができていいだろう」
まだそんなふうに
「起きたら学校行くのは当たり前」
という考えから抜け出せずにいました。
基本的に私は体育会系人間なので、やはり世の中の一般に
合わせていくのが普通、和を乱さない・・・・
今の、多様化とか個人主義的な風潮は
仕事に関すること、個人の考えを尊重しようという
流れでは理解できるのですが、
自分の子供の病気に当てはめると
なかなかそこまで気持ちが追いついていかないものです。
現実と世の中の風潮の板挟みで
精神的にも辛い1ヶ月間でした。
今はこの時期を超えて、ちょーっとは柔軟になったと
自分では思いますが。
昭和の価値観を覆せるくらいまでには至っていません。
私自身もいろんなことに柔軟対応していかなくては、と
思っています。